育成年代のサッカー現場を見渡すと、「子どもを褒めて伸ばす」「ポジティブな声かけをする」というアプローチが広く定着してきました。それ自体は歓迎すべき変化ですが、その一方で、大きな違和感を覚える場面に出くわすことがあります。
それは、「励まし」と「耳障りの良い言葉(迎合・忖度)」の混同です。
事実から目を背けさせる言葉は「優しさ」ではない
子どもや保護者にとって都合の良い言葉、その場が丸く収まる心地よい言葉を並べることは、一見すると親切で優しい指導に見えます。「足元の技術は素晴らしいですね」「今は体が小さいだけだから大丈夫です」――。もちろん、本人の強みを認めることは大切です。
しかし、もしそこに「次のカテゴリーで通用するための課題」や「今向き合うべきリアルな現実」が抜け落ちているとしたら、それは励ましではなく、単なる指導者側の保身に過ぎません。
耳障りの良い言葉: その場の空気を保ち、嫌われないための「現状維持」の言葉。
本質的な励まし: 冷徹な現実を正しく認識させた上で、未来を切り拓くための「自立」の言葉。
都合の良い言葉を与えられ続けた選手は、カテゴリーが上がったときや選考の壁にぶつかったとき、「なぜ通用しないのか」が分からず、より深い挫折を味わうことになります。
なぜ「都合の良いこと」を言ってしまうのか
指導者が安易に耳障りの良い言葉を選んでしまう背景には、いくつかの構造的な要因があります。
サービス業化とクレームへの恐れ
「保護者に納得してもらいたい」「選手に辞めてほしくない」という心理が働き、指導者ではなく“サービス提供者”として顔色をうかがってしまう。
課題を克服させる具体的な処方箋の不足
厳しい現実を伝えた後、それをどうトレーニングで克服させるかという具体的な引き出し(指導力)がないため、無難な褒め言葉で濁してしまう。
対話コストからの逃避
現状の課題を親子に伝え、理解してもらい、伴走するには多大なエネルギーと時間がかかります。その摩擦を避けるために「良いところだけ」を伝えて終わらせてしまう。
現実を突きつけるからこそ、伴走する覚悟が必要になる
選手が本当に成長する瞬間とは、「今の自分のままでは通用しない」という悔しさや壁に直面し、それをどう乗り越えるか試行錯誤し始めたときです。
指導者の役割は、幻想を見せて安心させることではありません。「今何が足りないのか」という現実をフェアに示し、その上で「どうすれば乗り越えられるか」という武器と勇気を手渡すことです。
厳しい事実を伝えるのは、指導者にとっても痛みを伴います。だからこそ、伝えた責任を持って最後まで向き合い、成長のプロセスに寄り添う。その覚悟を持った言葉だけが、子どもたちの芯に届く本当の「励まし」になるはずです。

