サッカーのある生活...

育成年代のサッカーに関わる指導者の奮闘記

【父の話とあれこれ】

昨年末に父が他界した。

いつも一緒に過ごしていた訳ではないけれど、亡くなったという事実だけで心に穴が開いてしまったような感覚になっている。

ずっと一緒に過ごしていた母は、自分以上の喪失感であることは想像に難くない。

自分が幼い頃、週末は代々木体育館で過ごすことが多かった。父が監督をしている試合を観戦に行っていた。

企業スポーツ全盛期のお金の使い方はとても派手で...週末はバスケットボール観戦からの関係者全員で高級焼肉店に行くのがお決まりのコースだったように記憶している。とにかく〝美味かった〟という記憶しかない。家族で電車に乗って駅からタクシーで自宅に帰ったことが妙に楽しかったのを覚えている。

現役時代も含めて日本バスケットボールの一翼を担ってきた父の功績は大きかったと思っている。お通夜、告別式の日もそんな話を沢山聞かせてもらった。そこには自分の知らない父の様子があった。沢山の人に尊敬されて愛されていたことを誇りに思う。思い出は沢山あるが、またゆっくり記録していきたい。

自分の中では大きなことではあったけど、世の中は当たり前のように動いている。この状況がとても不思議で仕方がない。でも、その当たり前の日常を全力で生きていくしかないと気持ちを切り替えている。ところである。

話は変わるが、我が子の学校では、いまだに心無いことをする子がいるようだ。本当に言っても変わらない...むしろ〇〇が何かをしたからでしょ?とスケープゴートにされているようなところもある。やって良いこと、悪いことがある。

父も自分がいじめられていた時にそういうことには凄く憤慨していた。と思う。ちなみに自分もいじめられていたことがあって、登校拒否をしていたこともある。学校に行ったら机といすが廊下に出ていたり...上履きに画びょうが入っていたり...割とすごいやつだった。父と母に『出る杭は打たれるが、出過ぎると打たれない』と言われたのが、ずっと心に残っている。

相手にするな...と言っても子どもにはなかなか難しい話で頭を悩ませている。なぜ絡んでくるのか?不思議でならない。もう関わらないで欲しい。