サッカーのある生活...

育成年代のサッカーに関わる指導者の奮闘記

【エモい】※追記あり

試合の中では自分達で〝変えられる〟ことと〝変えられない〟ことがあります。特に審判の判定については、〝変えられない〟要素の方が大きいですよね。しかし、審判の判定によっては試合が有利になったり、不利になったり...それだけ審判の役割は大きかったりします。→〝変えられない〟ことを受け入れてどうするか?をポジティブに考えるか。不満を抱えてネガティブに取り組むのか。考え方によってその後の行動と結果が変わってくるような気がします。

ファウルが起こる、ファウルの疑いがあるプレーがあった時など、その時々で審判の判定に抗議したり、意義を申し立てたりする場面を見ることがあります。

ファウルを訴えたり、声を荒げて抗議をする...その行為自体が試合の駆け引きだ!なんて言う人もいるけど、個人的にはあまり好きではないし、何よりも格好悪く見えてしまう。

なぜなら〝変えられない〟ことに腹を立ている姿は言い訳を作っているようにも見えるし、何よりも見ていて不愉快なのだ。そんなことに時間を使うのなら、自分達が今の状況をどうやって乗り越えるか?を考えた方が遥かにポジティブだと思っている。

加えて審判も人間なのだ。

抗議ばかりしているチームよりもひたむきに頑張っているチームの方が印象が良いのではないか?それは観戦している人にとっても同じではないだろうか。

サッカーはエモーショナルなスポーツだ。

気持ちが昂って抗議をすることもあるかもしれません...しかし、だからこそ紳士であるべきだし、エモーショナルな部分をコントロールしてこそ良いチーム、良い選手になれるのではないかと思うのです。

とは言え、『おいおい...』という判定が全くないかと言えばそうではないのも事実。自分達にとって、チームにとって何がプラスに働くのか?サッカーでもサッカーの外側のことも考えて最良の判断を瞬時に行って行動に移していかなければなりません。

だからこそ自分自身の判断基準、チームの判断基準は大切なのだと思います。